木内 純二

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三菱自動車には「この道のプロ」と謳われた塗装のスペシャリストがいる。木内純二、1979年から塗装の仕事に携わり、以来、この道一筋を貫いてきた。1990年には、当時、ヨーロッパで主流になりつつあった水性塗料の開発に着手。3年がかりで完成させている。三菱自動車が国内の他社に先駆けて水性塗料を採用できたのは、木内と彼が導くチームがいたからに他ならない。そして今回、「エクリプス クロス」のシンボルカラーでもある「レッドダイヤモンド」の実現にも、木内が貢献している。三菱自動車が誇る技術者の、ものづくりのフィロソフィーとは。

すでに現場を退いていた木内が岡崎工場への出向を命じられたのは、2017年3月のことだった。
「生産技術部の部長から電話をもらってね。とにかく大至急で(「エクリプス クロス」の生産拠点である)岡崎工場に来て欲しい、と。僕は『現場、現実、現物』の“3現主義”を貫いているもので、とにかく岡崎に行って現物を見てみましょうということになった」
木内を待ち構えていたのは、「エクリプス クロス」のカラーデザイナーの安井智草と、暗礁に乗り上げていた新色「レッドダイヤモンド」。一瞥した木内は、「このままでは到底、納期に間に合わない」と判断したという。
「通常、メタリックベースのボディカラーは、中塗りとベースコート、クリアコートの3層になっている。ところがレッドダイヤモンドは赤の下のメタリックカラーを透過させることで発光させ深みを出すという意匠でね。うまく発色させるためには中塗りの上にメタリックベース、そしてクリアコートをかけ、さらに2層目のメタリックベースと4層目のレッドベース、クリアコートを重ね……という5層構造になっている。ところがメタリックベースとレッドベースのどちらも膜厚が均一でないと黒ずんだり、明るくなりすぎてカラーデザイナーが要求してる色が出せない。しかも、2ミクロン、つまり2/1000ミリの誤差で発色が全く変わってしまう。そんな訳でボディ全体に色ムラが生じてしまっていた」

「これは難易度が高いぞと、久々に燃えました」と木内。百戦錬磨の職人を奮起させたのは、「三菱でも過去に経験がなかった」という緻密で手間のかかる塗装と、安井率いるカラーデザインチームの情熱だった。岡崎工場での初めてのミーティングで安井と顔を合わせた木内は、レッドダイヤモンドへの並々ならぬ熱意を感じる。
「とりあえず安井のプレゼンを聞いたのだけれど、こいつらは本気だと感じました。いままで何人ものデザイナーと組んでクルマを作ってきたけれど、ここまでカラーにこだわりを持ったヤツはいなかったよね。だったらこっちも本気でやらなきゃいかんって、そう思わされました」

安井と約束した猶予は1カ月。着任早々、2/1000ミリを詰めていくための木内の試行錯誤が始まった。
「エクリプス クロス」の特徴はシャープなプレスラインと彫刻的なシェイプにある。しかし、その立体的で個性的なデザインが塗装の均一化を一層難しくし、色ムラとなった。
さらに「ドアやテールゲートなどいわゆる『蓋物』のエッジ部がどうしても黒くなる。仕方がないから蓋物はすべて外し、個別に塗装することにしていたがそれでは量産工法になり得ない。
「色ムラの原因は1回目と2回目のベースの塗装が不均一だったこと。量産化を可能にするためには、ボディ全体の塗装の膜厚を均一に、とりわけ2回目の層の厚さを誤差2/1000ミリ以内に収めなくてはならない。そのため塗り重ね回数を考慮してパーツごとに塗装ロボットのスピード設定を変え、塗装用ガンとボディの距離などを改善。ムラをなくしてデザイナーが要求するカラーに近づけるべく、塗装条件の最適化を図りました」
さらに、膜厚をシビアに測定するために木内が用意したのが、100ミリピッチで穴を開けた透明なシート。木内は1台につき1000箇所の膜厚を測定しデータ化したのだが、季節や気温による変動といった色ずれを考慮し、毎回同じポイントで測定できるようなシートを特別に作ったのだった。
「三菱は堅実なものづくりを行う会社なのに、デザイナー主導で現場が振り回されている現状が悔しかったのかもしれないな。本来ならうち、つまり生産技術も一緒になって進めるプロジェクトなのに……。生産側の人間としては、そりゃあ忸怩たる思いに駆られますよ」

今でこそ「塗装といえば木内」と評価されているが、本人いわく「塗装に携わるようになったのは、まったくの偶然」だという。
「昔から塗装に興味があった……と言えたら格好いいけれどそういうわけではなく、会社から『塗装技術にいけ』と命じられただけ。最初の配属は商用車塗装課の点検工程で、初日の現場研修で『これは自分には向いていないな』と思ったよ。入社3日目だったけれど、すぐに辞めるつもりだった」
仕事は面白くないが、現場の先輩が何くれとなく力になってくれる。面倒見のいい先輩がいたから、かろうじて仕事を続けていた。
「1年経ったくらいだったかな、電着や上塗りなど実車の塗装に携わるようになった。塗料の色はこう着く、自動塗装機はこう塗る、そんな知識が身についてくると、『どうしたらより均一に、キレイに塗れるのか』って考えるようになる。自分の頭で考えて試行錯誤すると、その結果が車体にきちんと表れる。これは面白いと思ったね」

塗装課では様々な塗料を扱うが、塗料というものはそのままでは半加工品である。自分たちの手でクルマに塗って初めて加工品となるわけだが、加工品の出来栄えは職人たちの細工に左右される。木内いわく、「きっちりした細工をすれば、思い描いた通りのものができる。想像通りのものを作り上げるために、『きっちり』を詰めていく作業が楽しい」。

こうして塗装技術の向上に努めた結果、いつしか新塗装工場の建設や海外プロジェクト業務を任されるまでに。1997年からはオランダに赴任し、海外工場における生産技術・塗装技術にまつわるマネジメント全般に携わった。
「オランダでの経験は、マネジメントとは何ぞやと考えさせられたという意味で、自分の仕事への向き合い方を改めるきっかけになった。4年間駐在して帰国した時の話だけれど、帰国早々、現地の社長から毎日ファックスが届いてね。塗装に不具合あり、って。それで結局、またオランダに戻る羽目になった。自分が帰国した途端に不具合が起きるということは、4年間もいたのに問題を適正に処理するシステムがうまく働いていなかったということなんだよね。そんなこともあって、マネジメントに携わる人間がやるべきことは自分の代わりに現場を任せられる後任を育てること、つまり技術の伝承だって強く思わされた」

自分は水性塗料開発時に塗料メーカーの担当者に育ててもらった。今度は自分が次世代を育成し、その恩を返す番だ。そんな思いで後進の指導に励んだというが……。
「水島製作所で現役だった時代、塗装のプロを3人育てたつもりだった。彼らがいればデザイナーのどんな要求にも応えられる、そんな自負があった。けれど3人ともバラバラの部署に異動になって、現在の塗装技術チームにはその代わりになる人間がいなかったんだ」
これは自分の責任だ、と木内は痛感する。自分がマネジメントしていた時代に、もっと育成に時間をかけるべきだった、きちんと技術を伝えるべきだった、と。

「今回、岡崎に帰ってきて嬉しかったのが、若手が二人、塗装のプロになりたいと名乗りを上げてくれたこと。どんなに怒鳴られても木内についていきたい、そう言ってくれた。だから厳しいようだけれど、毎朝、塗装のメンバーを集めて2ミクロンのこだわりを説いた」

こうしてできあがったレッドダイヤモンドの「エクリプス クロス」。木内はいまでも晴れた日には必ずボディカラーをチェックしに行くという。
「自分で言うのもなんですが、惚れ惚れするくらいキレイな赤ですよ。曇天の日にも、周囲を明るくするようにパッと発光するんだから。発売されたら僕はいちばんに買いますよ、このレッドダイヤモンドをね」
この難度の高い色を作り上げられたことは塗装技術部にとって、いや、生産の現場に携わる全員にとって大きな財産になった、と木内。木内が最も大切にしている後進の育成という意味でも、レッドダイヤモンドは大きな役割を果たしてくれた。若手にとってトライ&エラーがもたらした成功体験は大きな力となるからだ。
「常々彼らに言っているんですよ、クルマは一人じゃ作れないって。ものづくりはコミュニケーション、だから“人”を大切にしろって。自分を成長させてくれるのも“人”なんです。レッドダイヤモンドはその賜物。デザイナーほか色々なチームと手を取り合い、団結して取り組んだからこそ実現できた」

「『エクリプス クロス』に点をつけたら何点かって?100点だよ!」。
いかにも職人然とした木内が、初めて顔をほころばせた。