上田 和弘

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ボディサイドに施したシャープなプレスライン、まるで刀でズバッと切り込みを入れたようなこのラインが、「エクリプス クロス」のアスリートを思わせる力強くダイナミックなクーペSUVフォルムを形作るうえで重要なポイントとなっている。この特徴的なシャープなプレスラインやボディシェイプを形作るのが板金技術の仕事である。「40年間、板金技術一筋」という上田和弘は薄い鉄板を加工して立体的な造形を作りだす、いわばボディの魔術師だ。今回は「エクリプス クロス」の躍動感あるフォルムを作りあげる、板金技術の職人の心意気にフォーカスする。

板金技術のスペシャリストが磨き上げた、光と影が織りなす美しい“面”

薄く伸ばした鉄板を大型のプレス機にかけ、ひとつのパーツを作るのに要する時間はわずか5秒。その5秒で、デザイナーが描いた形を忠実に表現する。「板金というのはボンネットやドアといった、クルマのフォルムを形作るパーツを担う仕事です。具体的には金属を加工するプレス機の金型を設計しています」というのは、板金技術のスペシャリスト、上田和弘。鉄板を無駄なく効率よく使い、デザイナーの求めるボディを作りあげる。それが上田たち板金技術チームの使命だ。
「デザイナーが提案する表のデザインと、その裏側の、ボディ設計が担う機能的な形状。両者をつなぐのが板金技術です。我々はボディ設計の役目であるボディの裏側の機能形状もイメージしながら、デザインへの提案も行っています」

上田は長崎県の工業高校を卒業後、三菱自動車に入社した。幼少の時分から「機械をいじっていられれば満足だった」という上田にとってこれは天職だったのかもしれない。上田が入社したのはちょうど、板金技術にコンピューターが導入され始めた時期だった。手描きの製品図を3D化したり、先輩社員の手描きの金型設計に対し、CADでの型設計を手がけた。それは職人が培ってきた経験とコンピューターの進化の融合である。入社早々、上田はアナログとデジタルが紡ぐ板金技術の先駆けとなった。
「シミュレーターの結果を分析して金型の設計図を修正します。どこをどうブラッシュアップすれば、求めるフォルムやラインが得られるのか。修正過程は職人の経験と勘によるところが多い。『言葉では教えない、見て覚えろ』という昔気質の技術者が多い仕事場でしたが、手描き全盛時代の職人の仕事を間近で見ることができたのは幸運でした」

とはいえ、さすがの上田も若かりし頃はクルマ作りの醍醐味を理解できなかった。金型設計に5年、部品成形性検討の部署に24年間在籍したが、当時は求められる部品を作るのが精一杯。「いい部品とは何か」という根本に向き合う余裕がなかったと振り返る。
「いい部品とは検査員を満足させる部品のことだと思っていましたから。クルマを作っているのに、小さな部分しか見ていない。だからものすごく視野が狭かった。クルマ全体を任せられるようになってようやく、『僕たちが作っているのは単なるパーツではない、デザインの構成に欠かせないボディ全体なのだ』、そんな意識が芽生えてきましたね」

デザインに関わる重要なパーツを担っているにも関わらず、デザイナーの思う意匠を実現できない。それは現場に携わる人間なら誰しもが味わう葛藤だろう。また、部品を扱うプロフェッショナルの視点で最高のパーツを作っても、それをクルマのデザインに落とし込んだ時、どうにもしっくりこないというジレンマを覚えることもある。そのバランスを探るのには、クルマを俯瞰で眺める広い視野が必要だ。ボディ全体をマネジメントするようになった上田は、いつしかデザイナー寄りの視点でも眺めるようになっていた。
クルマ全体に主眼を置いてパーツを眺めるようになって、板金に対する考え方が根本的に変わった。「クルマというのはアートではなく工業デザイン。機能と美しさ、そして生産性までをも兼ね備えるものを生み出すのがデザイナーの仕事と思う一方、現場がデザイナーの求めるものを作れないからといって、デザインを改悪させるようなことはしたくない。実際、できあがったクルマを見てがっかりしたことだって何度かあります。確かに機能や生産性というハードルはクリアしているかもしれないけれど、部品検査を気にしたデザインなんて、なんの面白みもないですから。作るからには作り手の僕たちがワクワクするような格好いいものを追求したいのです」

そういう意味でシャープなラインを施した「エクリプス クロス」は上田にとっても大きな挑戦だったといえるだろう。ベルトラインやボディサイドにあしらった個性的なラインは、上田がいつか手がけたいと思っていた意匠である。けれど、こうしたラインを量産することは物理的に叶わなかった。実際にプレス機にかけると意図せぬ段差(線ズレと言う)が生じてしまううえ、この線ズレはコンピューターによるシミュレーションでも予測困難だっだ。
それでもトライすることになったのは、「どうしてもこのラインが欲しい」とデザインチームが譲らなかったからである。こうした意向を受けて、今回、上田は線ズレぎりぎりまでを攻めた。それにはシミュレーション結果の分析手法の確立と、過去の経験の対策技術が力となった。そしてなにより、関係部署が集まりチームの垣根を越えたディスカッションを重ねることで、シャープラインの方向性について同じ目標を共有できたことが大きかった。

挑戦こそ、喜び ものづくりの根底に流れる現場の心意気

上田はこうしたシャープラインを実現するため、金型の設計図をいくつも起こした。予測できる割れやシワなどについて、ひとつずつ対策形状をデータ化してシミュレーションし、成形過程のアニメーション等を確認。さらなる修正を施していく。問題点をクリアしつつ、デザイナーのニーズに応え、かつ効率よく生産できる工法を策定する。上田が満足できる金型を作るのに要したのは、優に100時間を超えた。
「金型ひとつを製作するのに数千万円以上かかりますから、設計上の失敗は許されません。では、緻密な設計に何が必要なのかといえば、職人が頭の中で描くシミュレーションなのです」
頭の中のシミュレーションは経験によってもたらされるもの。鉄板の性質を把握したうえで、頭で思い描いた青写真に修正を加えて、求める金型に近づける。上田によれば、頭の中のシミュレーションとコンピューターの解析結果がぴったりと一致することが、板金技術の仕事の醍醐味なのだ。

試行錯誤を経てできあがった「エクリプス クロス」の彫刻的なシェイプ。それは技術者としての上田のみならず、エクステリアデザインを担当したデザイナーをも満足させるものとなった。
「いちばん最初にエクリプス クロスのエクステリアデザインを担当したデザイナー吉峰典彦は現在、ヨーロッパに赴任中なのですが、わざわざ連絡をくれたんです。『今回のシャープなラインはよかった、思い描いたとおりのものになった』って。それを聞いて胸が熱くなりましたね。彼も熱い人で、デザインについては一歩も譲らない性質だから、僕たちは何度もぶつかった。幾度もやり取りを重ね、彼がこだわるデザインの実現に向けてギリギリのラインを攻めて、結果、デザイナーをも満足させるものができあがったというのは職人冥利に尽きるような経験でした。それを体験できた自分は、本当に幸運でした」
上田の挑戦はもちろん、これで終わりではない。今後はハンドル周りの意匠においてもさらに上質な面やラインを模索していきたいし、デザインの自由度をさらに上げられるようなクリアで美しいパーツを作っていきたい。それもなるべく低予算で。ものづくりにリミッターはない。さらなる高みを目指す、それが職人としての心意気だ。

「板金技術の一技術者として常に心がけているのは、クルマとして最高にクールなフォルムを量産体制にもっていくこと。部下にもいつも言っているんです、『板金によって生み出されるのは単なる部品じゃない、ボディ全体、つまりクルマそのものなんだ』って。デザイナーが実験的な意匠を提案してきた時、現場は一丸となってそれに向かっていきたい。そしてそれが完成した暁には、『ここのラインは自分が手がけたんだ』、そんな達成感を味わってほしい。そして、次は自分が意図した面を自分で作りあげるんだという貪欲さを持っていてほしい。そうした気持ちが現場を面白くするのです」

こうした上田イズムはチームの中に確実に受け継がれている。真摯に素材に向き合い、アイデアと情熱を持って試行錯誤する。ひとつの手法にこだわらず、柔軟な思考を持って新規に取り組む。結果にこだわり、努力を惜しまず、常に上を目指す。
デザイナーの要求は年々高くなっている。世の中にない、まったく新しいデザインを生み出したい、そんな熱意から生まれるのは上田たちがいまだ経験したことのないような斬新なボディだ。

「僕たち現場はついつい、作りやすいラインで提案したくなるけれど、美しい意匠を叶えるための要求には常に応えていきたい。それを実現するために現場で試行錯誤することは挑戦であり、挑戦を恐れない気概をいつまでも持っていたいのです。挑戦こそ、ものづくりの喜びなのだから」

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